星野源

1981年、埼玉県生まれ。
八百屋を営む家庭で育つ。

小学三年生の時にうんこを漏らしてあだ名が「うんこ」になり、
その頃から人生を達観し始める。最終的なあだ名は「おじいちゃん」。

親に観させられた映画『ブルース・ブラザーズ』をきっかけに音楽に興味を持ち、
小学校六年生の時にドラムを習い始める、が、すぐにやめてしまう。
中学一年生になり、同級生がこぞってギターを始めたのを見て、
「やらなきゃイジメられるかも」という間違った強迫観念でギターを始める。

同じ頃、唯一気の合う友人であった戸田修輔に校内で上演する自主演劇に誘われ、特に何も考えずに役者としての初舞台を踏み、以後、いくつかの学生演劇に出演する。

高校一年生の頃から、誰に聴かすでもないオリジナルの歌を作り始める。
高校二年生の時、松尾スズキのワークショップに参加。
そこで知り合った斎藤拓(のちの斎藤小番頭)に、「音楽が好きなら細野晴臣の『HOSONO HOUSE』を買いなさい」と言われ、「貸してくれないの?」と思いつつしぶしぶ購入したのだが、見事にはまる。

高校三年生で初めてのライブ出演。参加したスカバンドでは、パーカッションを担当。
2000年、同じ高校に通っていた先輩・野村卓史(現・グッドラックヘイワ)と伊藤大地、同級生の田中馨を誘い、インストバンドSAKEROCKを結成。
後輩の浜野謙太も誘ったのだが「ボーカリストになりたい」という理由で断られる。
同年、ペンギンプルペイルパイルズの公演に役者として参加。
以後は劇中の音楽制作という形でも関わるようになる。

2002年頃、SAKEROCKにいつの間にか浜野謙太が加入していた。
2003年、舞台「ニンゲン御破産」(作・演出 松尾スズキ)のへの参加をきっかけに、大人計画に所属。その後「轟天VS港カヲル」「ウーマンリブ先生」「七人の恋人」「七人は僕の恋人」(すべて作・演出/宮藤官九郎)など、大人計画公演に多数参加。
同年、TVドラマ「ウォーターボーイズ」に出演。
泳ぎが上手くなるも過酷な訓練でプール恐怖症になってしまいションボリするが、同年映画「69 sixty nine」(監督/李相日)でうんこを漏らす中村役を演じ、過去のトラウマから解き放たれ、昔「うんこ」とあだ名をつけたヤツに初めて感謝する。

2004年、eastern youth主催の伝説的イベント「極東最前線」にSAKEROCKで出演。
この日のイベントをきっかけに、急速に知名度が上がる。

2005年、自主制作CD-R『ばかのうた』を発表。作った数が少なかったので、ほとんど知り合いにあげただけでなくなってしまう。
2006年に発表したSAKEROCKのアルバム『songs of instrumental』の中で、ハナ肇とクレイジーキャッツの「スーダラ節」をカバーして歌う。
2007年には、自身の弾き語りを収録したCDフォトブック『ばらばら』を発表。
同年、「去年ルノアールで」(テレビ東京)にてTVドラマ初主演を果たす。
さらに同年、テレビ誌「TVBros.」(東京ニュース通信)にて、細野晴臣氏との対談連載「細野晴臣と星野源の地平線の相談」が開始。

2008年、舞台「女教師は二度抱かれた」(作・演出/松尾スズキ)で劇中音楽を担当。
同年、SAKEROCKのDVD『ラディカル・ホリデー』の制作をきっかけに、ディレクターの山岸聖太、デザイナー兼ディレクターの大原大次郎と共に、映像制作ユニット・山田一郎を結成。企画・プロデュースと演出を担当する。

2009年、山田一郎が制作したSAKEROCKのMV『ホニャララ』が、SPACE SHOWER Music Video Awards 09のBEST CONCEPTUAL VIDEO賞を受賞。
同年、初めてのエッセイ集『そして生活はつづく』(マガジンハウス)を刊行。
舞台「サッちゃんの明日」(作・演出/松尾スズキ)にて劇中音楽を担当。
2010年、NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」(NHK/現在放送中)にヒロインの弟、飯田貴司役で出演。

3月「POPEYE」(マガジンハウス)にて映画エッセイ「ひざの上の映画館」を連載開始。
さらに、ビクタースピードスター/デイジーワールドにて、初めてのソロアルバムを制作。
伊賀航、伊藤大地、野村卓史を迎えてのバンド編成でのレコーディングとなった。
様々な活動を経て、ソロ活動が本格的に始動する。

星野源

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